三重テレビ『ゲンキみえ生き活きリポート』2017年4月9日

スイートピー農家・中川猛さんは花の市場に勤務しながら、スイートピーの魅力にひかれ、生産をスタート!
松田聖子のヒット曲「赤いスイートピー」が発表された頃、真っ赤なスイートピーはありませんでしたが15年前、交配に成功!
全国へ出荷するようになりました!

伊勢市上地町のビニールハウスでスイートピー生産を行っている『スイートメモリー』さん。

 

こちらではなんと赤いスイートピーも育てているんです!
『赤いスイートピー』はみなさんもご存知、松田聖子さんのヒット曲のタイトルですが、この曲がヒットした30数年前は、実はこのような真紅のスイートピーは存在しませんでした。
あったのは薄い赤やピンクのスイートピーで、ヒット曲にあやかろうと、多くの花卉生産者が赤色のスイートピーの品種改良に乗り出しました。
そして今から15年前、『スイートメモリー』社長である中川猛さんが、いち早く赤いスイートピーの交配に成功。
1本の花から年間生産量数万本へと育てあげました。

 

こちらがスイートピーを生産しているビニールハウス。
現在、15〜20種類ほどのスイートピーを育てています。

 

スイートピーは、実はマメ科の植物。
ツルを巻いて育ちますが、花を曲げる原因となり、商品価値がなくなってしまうため、手作業でツルを取っていきます。

ツルがないと倒れていってしまうので、針金で止めていく作業が必要。
夏からずっと続く、手間のかかる仕事です。

 

中川さんは、もともと、花の市場に勤務。
スイートピーの担当をしているうちに、その魅力にはまり、脱サラをして生産に乗り出しました。
市場で花を扱っていても、育てるのは素人。
なんとか商売を軌道に載せた頃、あの曲がヒットしたのです。

「僕が市場へ勤めていた頃には、真っ赤なスイートピーというのはありませんでした。
31歳くらいの時に『赤いスイートピー』という曲が大ヒットしたので、なんとか真っ赤なスイートピーを作ろうと思いました。
しかし作っても作ってもシミが出たり、色が薄かったりであきらめかけた頃、薄い赤いところに1本だけ、真っ赤なスイートピーが生えたのです。
本当に偶然でした。
この時は嬉しかったですね」

ただしスイートピーは、バラなどの豪華な花の脇役的扱いが多く、そういう用途のときには淡い色が好まれるそう。
しかしながら、現在でもインターネットでの販売は順調のようです。

 

こちらのビニールハウスでは、何十年にも渡ってスイートピー作りを支えている人がいます。

「私は20年ほどになります。
大変なこともあるけど、花が良い色で成長してくるのも楽しみだし、入学式や卒業式に使ってもらえると嬉しいですね」

「私は82歳。
もう35〜6年くらいになります。
みんなが『きれいだ』と行って見に来てくれるのが励みになっています」

 

こちらは最高齢の中川まつえさん、御年90歳!

「毎日ここへ針金をかけに来ているんです。
腰が曲がっているのでビールの椅子に座って、こうやってかけているの」

ゲンキなお母さんたちの手間ひまかけた作業が、きれいなスイートピーを育てていました。

 

規格品は市場へ出荷し、ちょっと曲がっていたり短いものなどを、こちらの直売所で販売しています。
規格品ではないとはいえ、充分綺麗です!

 

なんと、直売所の中から、バイオリンの音色が!
演奏しているのは高橋真珠さん。
香港やニュージーランドのオーケストラにも在籍したバイオリニストです。
伊勢に暮らすおばあちゃんが、スイートピーが大好きで、中川さんと交流があったことから、ときおりここで演奏をするようになったといいます。

 

「祖母は美しいものが好きで、花では柔らかいイメージのあるスイートピーが特に好きでした。
他にも芸術や音楽にも造形が深く、私がこうしてバイオリンを弾いているのも、その影響があると思います。
美しいものに囲まれて演奏できるのは、私自身も元気が出ます」

と、高橋さん。

「スイートピーは死ぬまでは作っていきたいと思っていますし、このハウスからインターネットを使っていろいろ発信したいですね。
若い人には夢を持って、失敗してもいいからどんどんがんばってほしいです。
ここがそういう人たちに貢献できる場所になれば良いと思っています」

と、中川さん。

 

さらに美しく・・・
人に感動を与えるスイートピーを・・・
中川さんたちはいま、赤いスイートピーの新たな販売方法を模索し、そして新たな色のスイートピーの品種改良をはじめています。

 

スイートピー。
あの人に贈ってみませんか。